楽器演奏における脱力方法、力みの対策を考える。(思考編)

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以前、演奏における脱力とその方法を考える。にてクラシックギターの演奏に関する
脱力とその方法について書きました。
これは、肉体的・技術的な面で今でも加筆する必要がなく、
正しい内容と考えています。

しかし、練習をしていて「力み」が生じる原因として
考え方や精神的な面もかなり大きな要因であると感じました。

力みまくりの過去の自分と決別するためにも、
脱力に関する思考法を整理します。
今回の記事で書くことはたった1つの要素ですが、
非常に重要な考え方です。

この記事でわかること

楽器演奏は入力に対する結果を捉えるもの

はじめに、はっきりとしている前提として、
楽器演奏とは下記のシンプルな定義により表すことが出来ます。
「自分の身体からの何かしらの入力(指先の動きや息)によって生じる
 結果(音)をコントロールするもの」

結果としての音をコントロールするのはあくまで入力に過ぎないということです。
「楽器を身体の一部のように扱う」ことは理想ではありますが、
「楽器は身体の一部」ではありません。
(他の方のブログで見た表現を借りてます)

「手や足を動かしたり、大きな声を出したり」は
自分の身体を直接コントロールすることで行います。
つまり、「動作 → 結果」なのです。

楽器演奏は、楽器を介して音を出さねばなりませんので、
「動作(入力) → 楽器 → 結果」の流れになります。

湿度や弦の新しい古い、練習量によって
楽器の鳴り方やレスポンスが変わることを考慮すれば、
そもそも楽器を「自分の体の一部」と考えない方が良いのではないでしょうか。
(おごった考え方では)

練習など、全てがベストの条件だとしたらそれでも良いのかもしれませんが、
楽器は自分の一部だと思って弾こうとした結果、
思い通りにならずに破綻する例は多々見かけます。

結論「力みによって発生する結果を正しく捉える」

今回の結論を一言でいうと、
「力みによって生じる音の変化を聴いていない・捉えられていないため
 力みによって何が起きるのか分かっていないにも関わらず
 何かしら表現しようとして奏者は力んでしまう 」
ということです。

歯を食いしばって弾いていたら、周りで何が起きているか
気が付きにくいのは当然です。

何か表現しようとして奏者は「力む」

私もギターを弾き始めた頃から「表現のある、何かしらを伝える演奏がしたい」と
ずっと思っていました。
いくら脱力を行っていても、表現を「力み」によって
行おうとしていたところがあります。

それは、少し離れた例えになりますが、
適切な結果が伴っていない面において「仕事しているアピール、忙しいアピール」と
変わらないように感じます。

全く仕事をしていない人と比べて「私、こんなに頑張っている」と主張している
人の方が評価が上がるのと同じで、
演奏においても何もしない人よりは「力み」で何か伝えようとしている人の方が
評価を受けます。(本人にとってこの称賛は逆効果になるのですが)

「力み」によって生まれる表現がある

「力み」によって何かしら表現できる、と曖昧に考えるのではなく
「力み」が何を生むのか、適切に把握すべきです。

曲の表現に合っているのであれば、
私は「力み」を適切に採用すべきだと思います。
ロマン派以降の劇的な表現であれば良いですが、
流れや軽快さが求められる場面であれば「力む」ことはやめましょう。

以下が「力み」によって生まれる要素の例です。

  • 迫力
  • 音量
  • 音質が荒くなる(ともすれば潰れる)
  • リズムが重くなる
  • 陰影を付けにくくなる

私の場合の例

私が今回の記事を書くきっかけとなったケースをサンプルとして紹介します。

久しぶりにJ.S.バッハのBWV998を人前で弾こうと思って練習していましたが、
やはりフーガがとても難しいのです。

フーガの主題がはっきりと分かるように大きく弾こうと思って弾いていると、
力んでしまい、流れが淀み、テーマは聴こえても音楽自体の魅力が落ちていました。

フーガの主題を強調するのは大事なことですが、
単純に「大きく弾こう」と考えるのは前時代的な考え方ではと思います。
旋律の持つ魅力を引き出すように弾いてあげれば、主題は自然に強調されます。

そのため、バロック時代の音楽を表現するにおいて、
「力む」という表現方法は流れを損なうため適切ではなかった
ということです。

力みに頼らずに「最も魅力を引き出すにはどうすれば良いか」という
点に着目して練習すると演奏は大幅に向上しました。
(「力む=考えていない、工夫していない」状態でした)

また、ギターの左手にフォーカスして考えた場合でも、
バロック時代のフーガにおいて「力む」ことによるメリットがほとんどないのです。
情熱的に幅の大きいビブラートをかけるならまだしも、
音楽が先へ先へと流れていくフーガでそういった場面はありません。
(不協和音では少しビブラートしますが)
そのため、左手の仕事は「正確に音を出すだけ」と捉えることで余計な力が消えました。

 

今回の記事は以上となります。

これまでも胸の内にあった内容ですが、やっとここまで整理することが出来、
これによって自分の停滞も解消されるように思います。

最後までご覧いただき、誠に有難うございました。

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この記事でわかること