2023年度アマチュアギターコンクールの振り返り・反省をします。

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アマチュアギターコンクールの反省

2023年8月に開催されたアマチュアギターコンクールに出場してきました。
結果は「予選落ち」です。
過去の失敗から当日は余裕がなく、他の参加者の方とあまりお話できなかったのも失敗でした。

来年の出場を見据えた反省として今回の記事を書きます。
まだまだ欠点が多いと痛感しました。

審査に関する批判も記載しております。
審査に関して、自分自身の落選のことでしたら、未熟な自分が努力すれば済む話だと思っておりました。
しかし、私が思っていたよりも多くの方が「楽譜を大きく崩さない端正な演奏」で不合格を受けたようです。
「演奏そのものの良し悪しではなく、表現の幅を重視して評価する審査」は、見直されるべきと考えております。
アマチュアギターコンクールだけでなく、全てのコンクールが同様の傾向にあります。

「コンクールの批判をするなんて、何事だ」「あなたは音楽・演奏を分かっていない」「分かっていても、わざわざブログで言わなくても」という批判が生まれるのは承知の上です。

この記事でわかること

コンクールの審査に対する批判

先に、コンクールの審査に対する批判を書きます。
私は「音楽の良し悪しを判断する基準がずれている」ことは、良い演奏家を育てることを妨げると感じています。

私自身の演奏は決して完璧ではなく、落選もやむなしと思っておりますので、また後で振り返ります。

表現の幅は大きくなくとも、とても端正で良い演奏をした方が不合格となった話について記載しております。

「デュナーミク・アゴーギク・音色」の有無や幅で評価が決まっている

コンクールの審査結果や講評を見聞きすると、楽譜の解釈以上に楽譜に記載のない「デュナーミク・アゴーギク・音色」に関する変化の幅や有無が合否に大きく影響していたようです。
(音量の変化、テンポの変化、音色の変化)

私は「ラグリマ」について言えば、「デュナーミク・アゴーギク・音色」の幅を大きくすることはあまり音楽的ではないと感じています。
明らかに「大・小の音量で弾く」「硬い・柔らかいを切り替えて弾く」のは曲の内容に対して不適切であるということです。

本番で「楽譜を守って弾く端正な演奏」をした出場者が習っている先生方は、皆そういった趣旨の指導をしたのではないかと思います。
私は留学をした2人の先生に習いましたが、「大袈裟な変化はラグリマの本来の魅力ではない」ということで考えは一致していました。

出場者のお話を聞く限りでは、端正な演奏を推奨していた先生方も「楽譜を逸脱する古いラグリマ」がいまだに評価されることを夢にも思っていなかったようです。

変化の幅を出場者に求めるのであれば、「端正に弾くことも正解になる曲」ではなく、「明らかに変化が要求されている曲」を課題曲に選んでほしいと感じました。

多様性があるべき

私が習った先生は「楽譜を大きく逸脱しない演奏」を推奨する方でしたが、「崩す」「崩さない」演奏のどちらの良さも認めておりました。
(崩す=楽譜にない表現をする)
音楽が不自然でなく、感動を呼び起こすものであれば「崩す」演奏でも全く問題ないというスタンスです。

私もこの考え方に全面的に同意しており、楽譜にない表現・変化の有無に関わらず自然で心に届くものであればかまわないと考えています。
これに対して、「楽譜にない変化をつけてこそ表現である」という立場のみを審査結果で提示されると、多様性を認めない意見であると感じてしまいます。

曲によっては、楽譜の意図や和声を深く読み解くことで自然と大きな表現が付きます。
しかし、楽譜の読み込みが浅い人が無理に表現を付けようとすると、不自然で独りよがりな演奏になります。

このように曲想を無視して「変化の幅」を重要視していると、後者の独善的な演奏に陥りがちです。
この点に関しては、下記の「演奏のはったり」に関する記事でも触れております。

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端正な演奏で良い演奏を目指している側からすると、不自然な崩しは「無理矢理ルバートやアルペジオをかけないとインパクトを与えられない」ようにしか聴こえません。

「コンクールで育った変化優先の演奏」を聴きたいと思わない

コンクールの審査基準が「変化の幅、大きさ」にあるのであれば、出場者もその点を重視して練習します。
「変化の幅、大きさ」に傾倒した演奏を私は聴きたいとは思いません。
(良からぬ方向に成長するかどうかは人によります)

審査の基準を明確にしたいからといって、本質からズレたチェックポイントを設定するのはギター業界全体にとってマイナスであると感じます。

コンクールで大活躍する「指がよく回り派手な演奏をする天才少年少女」は確かに凄いのですが、何年かに1度の頻度で定期的に現れる印象です。
彼らと「人の心に響く演奏家」は大きな差があります。

「変化の幅がある」ことと「人の心に響く」は同じではありません。

今回のコンクールにおいても、お客様が一番良いと感じた「ラグリマ」と審査に通過した演奏は別だったようです。
ここまで顕著に傾向が見えてくると「演奏が聴けると期待していた人が合格していない」と思って、本選を聴かずに帰ってしまうのも自然なことと思います。

今回、演奏家の育成のためにも「楽曲に合わない強引な変化」を強いる傾向は是正されるべきと思い文章にしました。

(本題)自分の演奏の振り返り

偉そうに批判をしましたが、自分の演奏で不出来な部分も多いです。
審査員の皆様から頂いたコメントも、的を射ていました。

ダイナミクスに欠ける・メリハリがない

講評にて「強弱が付いていない・平坦だった」というコメントを頂きました。
私が「ラグリマ」で気になった点は、以下。

  • 主題の繰り返し
  • 後半の短調。

当初は主題の繰り返しを「mf・mp」で弾くつもりでした。
しかし、1度目で音量がでこぼこしてしまい、テーマの提示ができていない・伝わっていないと感じました。
(何度も同じ曲を弾くので、「伝わった・伝わっていない」も何もないんですが)
そのため、とっさに繰り返しを同じ音量で弾きました。
結果的に変化が付かなかったため、愚策だったと思います。

また、後半の短調の冒頭、グリッサンド「ソ→ド」について、私は「ド」を抜く弾き方をしました。
(抜く=あえて音量を落とす)
儚げな表現が美しいと思って採用したのですが、ここを派手に硬い音で弾く人がいる中ではマイナスに映ったと思います。
貴重なコンクール的要素としての音色のアピールポイントを逃しました。
習っていた先生は「どちらを採用してもOK」ということです。

高音が細い・バランスが悪い

審査員から好評を頂いた「高音が細い・音量のバランスが悪い」は恐らく同じ要素を指摘しています。

タッチの改善は私の永遠の課題です。
この日のタッチ・楽器の鳴り方は割と良い方でしたが、今回も高音が細いことが目立ったようです。
爪や角度などを工夫しているのですが、なかなか音が太くなりません。

今後出場を検討している方の参考のため、会場の音響の話をします。
審査員席は会場の真ん中より前にあります。
そのため、会場の後ろで聴くと音がぼやけている演奏であっても、審査員席では良い音に聴こえるようです。
飽和するような鳴り方のギターの方が「音が太い」印象を与えます。

感情を入れて歌ってほしい・アゴーギクがない

私の出場前の予想では、楽譜を守って拍ごとに音を置いたようなラグリマの演奏が多いのではと考えていました。

そのため、完全に拍通りにならないようテンポを揺らしました。
が、はっきりと感じ取れるほど大きな揺れではなかったため、アゴーギクには数えられなかったようです。
「アゴーギクがもう少し欲しい」という講評を頂きました。

差別化でビブラートもかけていたのですが「揺らした幅が狭かった」か、「右手のタッチによる音の細さで目立たなかった」のかもしれません。

2024年の最終予選課題曲はF.ソルの「月光 Op.35-22」

次回の最終予選の課題曲(ステージで弾く最後の予選)の課題曲はF.ソルの「月光 Op.35-22」です。

この記事の上部で書いた審査傾向の話があるので、出場するかどうかを非常に迷いました。

課題曲「月光 Op.35-22」に対して、2通りの考え方がありました。

  • 月光でコンクール受けする表現を付けようとしたら「とても下品なものになってしまうのでは」という心配
  • ラグリマほど下品な崩し方が世間に定着していないので、奇妙な演奏が表現の幅として評価されることはないだろうという前向きな考え

迷っておりましたが、コンクール後の翌日に楽器店にて、惜しくも本選出場できなかった参加者の方と出会いました。
このときの会話の中で「来年また会場でお会いしましょう」と約束しましたので、性懲りもなくまた出場するつもりでおります。
この方は上位入賞しそうな腕前の方でした。

月光の変化のアイデアは現時点でいくつかあるため、きちんと練って準備しようと思います。

今回の記事は以上となります。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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この記事でわかること