クラシックギターを語る中で、「遠達性」という言葉を聴くことがあります。
オカルトのように扱われることもありますが、真偽はどうなのでしょうか。
この記事を書くにあたって、複数のブログの遠達性の記事などを読み、大変面白かったです。
遠達性という言葉について、私の意見を書いてみます。
遠達性とは?
遠達性(の有無)とは「遠くで聴いた際に、音の減衰を感じるかどうか」です。
遠達性は、クラシックギターの魅力を構成する重大な要素だと私は考えています。
クラシックギターの場合、音を飛ばせない奏者が弾くと、広い会場では音が全く通りません。
これによって、演奏の良し悪しがはっきりと分かれます。
誰が弾いてもそこそこ聴けるクオリティになる楽器と異なり、演奏者の個性が良くも悪くも強く出るのがクラシックギターの魅力だと考えています。
余談ですが、演奏者ごとの「音が良く通るかどうか」は録音では判断しづらいです。
こういった「録音で聴くと差を感じなくなってしまう」が発生する時点で、録音はクラシックギターの魅力を伝えきれないものだと思っています。
Youtube等の音源が重視される現代において、このようなニュアンスが損なわれないのであれば、クラシックギターはもう少し注目されているでしょう。
ダブルトップ、ラティスブレーシングは遠達性がない?
ダブルトップやラティスブレーシングの楽器は、音は大きいですが、遠くで鳴っているように感じます。
その意味では、「遠達性がない」と言い切って良いでしょう。
しかし、遠くで鳴っているように感じたとしても、ほとんど全てのファンブレーシングの伝統的な楽器よりは音量は大きいです。
「遠達性がない」「遠くで鳴っているように聴こえる」ということは、楽器として大きなマイナスにならないのではないかと思います。
「遠くで鳴っている」感覚は、スプルースよりはシダーの楽器の方が強いと思います。
そのかわりに、シダーの楽器の方が音量が大きいです。
また、海外のコンクールを聴くと、音量の大きい杉の楽器の使用率が高いです。
音量の追求に関しては、遠達性の低下を極力感じさせないようにしているスプルースの大音量の楽器と、単純に絶対音量の大きいシダーの楽器の競争になっている印象です。
ダブルトップ、ラティスブレーシングによる価値観の変化
一昔前であれば、フレタやアグアド等が遠達性のある楽器だったと思います。
しかし、ダブルトップやラティスブレーシングの楽器が使われ始めて絶対音量が大きくなってからは、新構造の楽器と比べて優位になるほど「遠達性がある」と言えなくなってしまったのではないでしょうか。
銘器のうち、大当たりの部類に入る個体であっても、新構造の楽器と比較されると300席以上のホールではパワー不足に感じると思います。
歴史的な名器(アグアド、サントス、エステソ、フレタ、アルカンヘル、ブーシェ、ルビオ)であっても、この水準を突破できません。
演奏会場の音響が良く、音量が問題にならないのであれば、上記の楽器で全く充分なのは間違いないです。
ただし、1970〜1990年にファーストオーナーが購入し、それ以降は人前に出てこないギターの中には大当たり中の大当たりもあります。
そういったものであれば、常識を覆す可能性も残っています。
(私を含む一般の奏者がそれを手にするのは極めて難しいです)
また、プロの中でも一握りの極上の右手のタッチを持った奏者であれば、大ホールでも音を響かせることが可能でしょう。
(タッチの「強い・弱い」ではないです)
ホセ・ルビオの話
私がルビオを購入した際も、「この楽器の音量・遠達性であれば大ホールでも大暴れできる」と思って購入しました。
実際に広い場所で使っても、充分な音量はあると思います。
ですが、距離による音の劣化を全く感じさせないというレベルでは無いです。
これによって、新たに音量のある楽器を探し求める旅が始まってしまい、ユーゴ・キュビリエを購入しています。
(楽器を豊かに鳴らすタッチを完全に会得出来れば、ラティスは不要かもしれません)
この経験をしたことのある歴史的名器の所有者は、楽器店で大当たりの楽器を見つけて喜んでいても、胸中は冷静に音量の見極めをしています。
遠達性のある楽器
個人的にダブルトップ・ラティスに比べて聴き劣りしないと感じた遠達性のある楽器をまとめます。
(楽器選び関連の記事で書いたことがある内容と思います)
これらの楽器は、元々音量がある楽器がほとんどです。
また、非常に音圧があります。
それに加えて、以下の2つのどちらかの要素を持っています。
- 強い音の芯があり、膨らまない
- 音が伸びる
歴史的な名器の大当たりの個体は音量・音圧があります。
しかし、上記の特徴には該当せず、多かれ少なかれ音が膨らむ・拡散するのがほとんどです。
音の扱いやすさ等、奏者が音をモニターする上では音が広がってくれた方が良いですが、遠達性に特化して考えると「膨らむ・拡散する」はマイナス要素になります。
イタリアの楽器
イタリアのギターは、オペラや金管楽器を思わせるきらめきで音が伸びます。
弦楽器製作の総本山として製作家の層が厚い印象です。
私が持っていた中では、パオロ・コリアーニやルカ・ワルドナーがこのジャンルでした。
表面板が松のギターで、音質を担保をしたものとしてこの2本を所有しました。
明るい音ですが耳障りではなく、極めて音量と伸びのある楽器です。
客席まで劣化せずに音が届くので、ダブルトップやラティスと対抗出来る楽器です。
伸びがある分、音色の変化は鋭敏ではなかったのですが、大きいホールで弾くときはとても頼りになります。
コンクールで使用した際も「一人だけ音量が違った」「音色が綺麗だった」と感想を頂きました。
(文章を書いていて、また欲しくなってきました)
イタリアの楽器も全て強い伸びがあるわけでなく、ガブリエル・ロディあたりは音量と音の芯が強い楽器と思います。
(年数の新しいロディはあまり好きでないです)
その他の「音質が明るすぎ・鋭すぎ」と思うイタリアのギターはあまりチェックしていないため、今後リサーチします。
グラナダの楽器
イタリアの楽器と同じく、伸びが印象的なのがグラナダの楽器です。
音色(倍音)はイタリアの楽器と異なり、爽やかに遠くへ届きます。
テクスチャは滑らかではないですが、荒いとは感じさせず、風が吹くように伸びます。
私は日本人が弾くのであればアントニオ・マリンが良いと思っています。
太めの音で伸びを上手く使えていれば、最新構造のギターに負けません。
私は1980年代前半のマリンを使っていますが、この年代はあまりおすすめしません。
音に艶があるせいで、アポヤンドのようなタッチでないと音が閉じこもってしまいます。
大幅な改造をしていなかったら、手放したかもしれません。
ブーシェの影響が強い年代というと聴こえは良いですが、製作家も正当な理由があって後に改良を加えている印象です。
高音は「モデルE」、低音は「モデルB」が好みです。
ホセ・マリンに関しては、伸びもありますが音圧重視の楽器に感じます。
タッチの強い奏者が弾くと、心強い相棒になってくれるでしょう。
パコ・サンチャゴ・マリンに関しては評価を保留しています。
カーボン弦のような音の印象が強いです。
弾いた・聴いた印象として、音の芯はどこまでも飛ぶと思うのですが、芯に付帯する肉は拡散・減衰しているように感じます。
国内外の奏者、楽器店の評価は極めて高く、私だけが違う意見なのであまり参考にしないで下さい。
(どこかで確認します)
グラナダの楽器は音が良く伸びるのですが、イタリアの楽器と同じくタッチに対する反応に癖があります。
伸びはやや控えめですが、タッチに対する反応を良くしたのがジョン・レイのサントスモデルと思います。
個人的に一押しです。
(トーレスモデルにおいてもパワフルなものを見たことがあります)
ドイツの楽器
イタリア、グラナダの楽器の他、ドイツの楽器も遠達性があります。
伸びではなく、密度のある硬質な音で、距離による音の減衰を感じません。
それに加え、音に躍動感があるものの場合、実際の音量よりも音が大きく感じます。
これまで弾いた楽器ですと、ヘルマン・ハウザー、フリッツ・オベール、エドムント・ブレヒンガー、ヘルムート・ブッフシュタイナー等が思い付きます。
音色は硬めで、変化は付けにくい印象です。
楽器の機能に音色の変化を求めない人が弾くのであれば、最良の楽器のジャンルのひとつだと思います。
今回の記事は以上となります。
今回挙げた他にも遠達性のある楽器はありますが、イレギュラーな個体だったりと、狙って購入するのが難しいです。
ジャンルを絞って遠達性のある楽器を求めるなら、イタリア・グラナダ・ドイツ製がおすすめです。
この記事を書くにあたって、以下のブログを参照しました。
遠達性について考える その1 | クラシックギターマニア おうどん
ダブルトップのギターはなぜ遠達性がないといわれるのか?セバスチャン・シュテンツェルの見解と彼のEnhanced Woodについて | クラシックギター情報ブログ 最高の一音を求めて
最後までご覧いただき、誠に有難うございました。