映画化された小説「マチネの終わりに」で使われているギター曲を紹介(後半)

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前半に引き続き、11月に映画が公開される小説「マチネの終わりに」に登場する楽曲たちを紹介いたします。

福山雅治さん演じる主人公 蒔野聡史は演奏家としての不調の中、何を思うのか。
石田ゆり子さん演じるジャーナリスト 小峰洋子は誰と人生を歩むことを決めたのか。

小説に登場した言葉の数々が彼らの思いを語ってくれます。

「洋子さんを愛さなかった俺というのは、もうどこにも存在しない」

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去
を変えてるんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、
感じやすいものじゃないですか?」

「だから、今よ、間違ってなかったって言えるのは。…今、この瞬間。わたしの過去を変えてくれた今。」

マチネの終わりに 平野啓一郎(著)より引用

名演奏と共に、蒔野聡史や小峰洋子の物語を思い出していただければ幸いです。

この記事でわかること

パリでのコンサート後、小峰洋子のアパルトマンにて

A.バリオス作曲の大聖堂で楽譜が飛んでしまったパリでのコンサートの後、蒔野は小峰洋子のアパルトマンに向かいます。
そこにはバグダッドで小峰のアシスタントをしていたジャリーラがいました。

ガボット・ショーロ/エイトル・ヴィラロボス

祖国から亡命してきたジャリーラのために蒔野はガボット・ショーロを演奏します。
ブラジルの作曲家 ヴィラ=ロボスの作品で、親しみやすさの中にも奥行き、南米らしい毒を含んだ鮮やかさ、哀愁を感じます。
演奏後、蒔野がおすすめしていたジュリアン・ブリームの演奏でお聞きください。
これ以上無いほど表情豊かでありながら、正統派のクラシカルな演奏です。
蒔野の独白がこの曲に良く似合います。

こういう境遇でも、人は、音楽を楽しむことが出来るのだった。
それは、人間に備わった、何と美しい能力だろうか。
そして、ギターという楽器の良さは、まさしく、この親密さだった。
こんなに近くで、こんなにやさしく歌うことが出来る。
楽器自体が、自分の体温であたたまっていく。
しかしそこには、聴いている人間の温もりまで混ざり込んでいるような気がした。

マチネの終わりに 平野啓一郎(著)より引用

演奏活動の再開、旧知のギタリスト 武知文昭とのデュオ

小峰洋子から最後のメールを受け取った後、蒔野聡史は二年間に渡り表だった演奏活動を行いませんでした。
そんな中、台北でコンクールの審査員を務めた後、レセプション会場で旧知のギタリスト 武知文昭と再開します。
武知との会話によって、蒔野の止まっていた演奏家としての時間が動き出します。

月の光/C.ドビュッシー(J.ブリーム&J.ウィリアムス編)

印象主義と呼ばれる、クロード・ドビュッシーによる作品です。(諸説あります)
月の光の下を進むような、不安と期待の混じった世界観に、私は演奏家として復帰する蒔野の心情を重ねてしまいます。

ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスによる強烈な個性の融合をお聴きください。

トリプティコ/L.ブローウェル

キューバの作曲家、レオ・ブローウェルによる作品です。
ブローウェルらしい独特の雰囲気が作品を覆っています。

タンゴ組曲/A.ピアソラ

タンゴの破壊者、タンゴの革命児と呼ばれたアストル・ピアソラの作品です。
何とも言えない艶やかさと、技巧の冴えが光ります。
アサド兄弟、デュオ・メリスと悩みましたが、音質と映像からこちらを採用いたしました。

 

ニューヨークでの作中最後のコンサート

蒔野聡史は再び演奏者としてステージに上がるようになり、ニューヨーク、マーキン/コンサート・ホールでリサイタルを行うこととなりました。
ニューヨークは昔、小峰洋子が住んでいた街であるということを知っていた蒔野は無意識に彼女のことを探している自分に気が付きます。

一方、小峰洋子は仕事でジュネーヴとニューヨークを行き来する生活を送っていました。
蒔野の新しいバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴き、コンサートに行く決意をします。

蒔野聡史は小峰洋子が1階奥の客席にいることを知らぬまま、演奏会は幕を開けます。

黒いデカメロンより戦士のハープ/L.ブローウェル

キューバの作曲家、レオ・ブローウェルの作品です。
ドイツの人文学者L.フロベニウスの著書である「黒いデカメロン」を題材として作曲されています。

《黒いデカメロン》の一曲目〈戦士のハープ〉が、緊迫した、ほとんど魔術的なほどに広大な二オクターブの跳躍で始まると、会場はもう、つい今し方までとは別の空間になっていた。

ソナタよりパスクィーニのトッカータ/L.ブローウェル

黒いデカメロンと同様、レオ・ブローウェルによる作品です。
超絶技巧による激しさと不気味な艶めかしさが共存した素晴らしい演奏です。

 

無伴奏チェロ組曲3番よりプレリュード/J.S.バッハ

この作品は、J.S.バッハによるチェロの独奏曲をギターに編曲しています。
バッハ本人の編曲ではありませんが、バッハ自身も鍵盤やリュート、ヴァイオリンといった様々な楽器に合わせた編曲を行っています。
楽器に縛られないバッハ楽曲の偉大さを感じ取ることが出来ます。

この曲は、ニューヨークでのコンサートの他にも、バグダッドで小峰洋子が蒔野聡史のCDを聴く場面で登場していました。

バグダッドにて
「洋子は、少し体を起こして、枕元のリモコンでCDを再生した。
蒔野の二十代後半の演奏で、バッハの無伴奏チェロ組曲第三番だった。
軽やかに高いソの音から音階を駆け下りてくるプレリュードの冒頭が、彼女の胸に、
明るく澄んだ光をすっと差し込んで、しばらくその存在を音楽で独占した。」

ニューヨークのコンサートにて
「洋子はこの時、蒔野がどこにいるのか、はっきりとわかった。
音楽家としての彼が、どういう境地に至り、何を表現しようとしているのか。
その全てが音となって鳴り響いていることに、彼女は強く打たれた。
イラクで毎日のように聴いていた第三番のプレリュードに、新しい光が注がれるのが
感じられた。
もっと明るく、もっと穏やかな、あたたかい光。……」

 

無伴奏チェロ組曲1番/J.S.バッハ

プログラムではチェロ組曲3番が最後に演奏されますが、最後に小説中で描写されたのはチェロ組曲1番を弾き始める場面となっていました。
蒔野聡史は第一部の最後の曲を弾き終わった後、小峰洋子が客席にいることに気が付きます。
誰よりも自身のバッハを聴いてほしかった人へ音楽を届けるため、蒔野は広大な静寂の中へと独り進み出ます。

いかがでしたでしょうか?
以上で「マチネの終わりに」に登場した曲の紹介を終わります。

登場人物や物語が持つ感情や背景がこれらの曲に描かれているように感じます。
何気なく並んでいる曲たちですが、作者による隠されたメッセージを受け取った気分になりました。
曲を聴いた上で、作品をもう一度見直してみると新しい側面が見えてくるのではと思います。

最後までご覧頂き、誠に有難うございました。

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