クラシックギターの右手のフォームはデリケートな話題です。これと断言できる明確な答えがありません。
今回は右手のフォーム「右手首を落とす弾き方」について深掘りします。
1900年前後から中盤にかけてF.タレガ、M.リョベート、A.セゴビア、M.L.アニード等が採用したフォームです。
荒れやすく面倒なトピックなので記事にするか迷いました。しかし、答えのない話題を考えることに意義があると考えています。
記事の内容が間違っていたとしても、私の考えを叩き台に誰かが新しいアイデアを見つけて「クラシックギターの技術が進化する」ならそれでかまいません。
右手のフォームの結論として、私は「右手首を落とす弾き方」で理論的に正しい説明に出会ったことがありません。書かれている理由が説明になっていないことがほとんどです。
私は右手首がまっすぐのフォームで弾いています。
「右手首がまっすぐ」は疲れずに大きな力を出せる
先に「右手首がまっすぐ」の話をします。
右手首がまっすぐの方が、疲れずに大きな力で握ることができます。発揮できる力は大きいのに、手は力まないということです。
指を動かす際も、手首がまっすぐの方が指先を動かしやすいです。手首を曲げてパソコンのキーボードを操作すると、打ちにくいです。
「右手首がまっすぐ」は合理的な状態です。
これに対して、右手首を落とす派の方からは「影響が出るほど大きく手首を曲げる訳ではない」という主張があると思われます。確かに極論を持ち出すのは良くないです。
右手首が落ちたフォームが良いとする主張
「手首が落ちている=脱力している」から
右手首が落ちるフォームが良いという意見には、「手首が落ちる=脱力している」という主張があります。
私は「手首が落ちる=脱力している」とは思いません。
右腕はギターの角に斜めに乗ります。その状態で完全に脱力したら、右腕はギターから落ちるはずです。
前腕、上腕にかかっている力は、「手首が落ちているか・まっすぐか」で全く変わっていません。
また、手首から先だけ脱力していることに意味を感じません。もっとも脱力したいなら、エレキベースを低く構えるように右腕を落とせば良いです。
私は「手首をまっすぐに保つ力」は「姿勢(背中)をまっすぐに保つ力」と同じで、最小限必要なものだと考えています。
「腕の重さが使える」
右手首が落ちるフォームが良いという意見には、「腕の重さが使える」からだという主張があります。
セゴビアやタレガが腕の重さを使うことに長けた名手なのは間違いありません。
しかし、「右手首が落ちたフォームでないと重みが使えない」という主張は説明不足でよく分かりません。
「右手首がまっすぐ」のフォームで腕の重みを使う際は、腕の重さと肩・肩甲骨からの力(ベクトル)を合成して弦に乗せます。
この点は手首が落ちるフォームであっても同じです。
むしろまっすぐに手首を固定した方が、弦に腕の重さを乗せやすいと感じます。(関節の固定は、力が大きいのに疲れない)
「右手首が曲がったフォーム」では、多かれ少なかれギターに右腕が乗っている場合もあります。
この場合、腕の重さはギターが受け止めてしまうため、むしろ腕の重みは使えなくなります。
私の経験では、「右手首が落ちているギタリスト」の方が腕の重みを使えていない場合が多かったです。最も悪いケースでは「肩を持ち上げて腕を吊っている」印象になります。
余談「ブリームはそれほど手首が落ちていない」
私はジュリアン・ブリームの大ファンです。
ブリームはあまり手首が曲がっていません。
ブリームは、音楽は大変素晴らしいですが、タッチはめちゃめちゃ力んでいます。決して良いタッチではないです。
腕の重みの使い方が上手いセゴビアとは、この点は全く異なります。
私はジュリアン・ブリームの音楽を崇拝していますが、タッチの質はセゴビアを目指すべきと思っています。
指と弦の接点(角度)の調整のため?
右手の指と弦が接する角度や面積を調整するために手首を落としている可能性も考えました。
しかし、指と弦の接し方は、「右手首を落とす」と「手首を落としていた角度分、ギターを立てる」で変わりません。
この点に関して、「右手首を落とす」優位性はありません。
「右手首が落ちたフォームが主流だった理由」を勝手に推測
足台の高さが調整できない
「右手首が落ちたフォーム」が過去に主流だった理由を考えます。
私の勝手な予測なので、注意してください。
当時は「高さ調整できない低い足台を使っていた」ため、右手首が落ちるフォームになった可能性があります。
ブリームの動画で使われている足台も調整できないタイプでした。
固定のフォームにこだわっていなかった
足台の高さが調整できないことで、足台の高さによるフォームの変化に演奏家たちが無頓着だった可能性もあります。
どんなフォームでも上手い人は上手いです。これは今も昔も変わりません。
柔軟性と適応力があるため、固定のフォームにこだわっていなかった可能性があります。
実はあまり考えずに構えている名手のフォームを見て、見た目だけで「これが正しい」と信じた演奏家も多いでしょう。(ネットがない時代なので)
古典・ロマン派のギター文化がタレガ・リョベートに受け継がれたか
上記のカルカッシのフォームを見ると、むしろ現代の奏者のフォームに近いです。
19世紀ギターはテンションが低いので、ブリッジよりを弾いているという理由もあります。
トリポーデでギターを構えるアグアドからも同様の印象を受けます。腕の角度が90度は力を入れやすいでしょう。
フリアン・アルカスも、極端に右手首が落ちているという印象はありません。
表面板が少し上を向いて左足とギターの間に隙間があるので、カルレバーロ奏法のようです。
上記のギターの構えの写真を見ていると「古典・ロマン派のギターのフォームが、タレガ・リョベートに受け継がれなかった」可能性があると思います。
改めてフランシスコ・タレガのフォームです。タレガは複数残っている写真の全てでこのフォームで構えています。
各作曲家兼ギタリストの生年・没年はそれぞれ、以下のとおりです。
- マウロ・ジュリアーニ(1782年〜1829年)
- フェルナンド・ソル(1778年〜1839年)
- マテオ・カルカッシ(1792年〜1853年)
- ヨハン・カスパル・メルツ(1806年〜1856年)
- ジュリオ・レゴンディ(1822年〜1872年)
- フリアン・アルカス(1832年〜1882年)
- ナポレオン・コスト(1805年〜1883年)
- フランシスコ・タレガ(1852年〜1909年)
リュートの技術は、ルネサンス・バロック時代に既に完成していたそうです。そのため、当時の絵画からフォームを学ぶのが有効なアプローチとなっています。
ギターにおいて「絵画や写真から学ぶ」が確実に正しいとは言えませんが、検証の価値はあります。
写真を見ていると「アルカスからタレガ」で構え方が変わっています。この時点で「古典・ロマン派の伝統のフォーム」が途切れた可能性があります。
本番での再現性がないフォームは無意味
最近読んだサッカー漫画に、「ゴールが発生する”再現性”が重要」だと書かれていました。
これはギターも同じだと思います。
「右手首が落ちたフォーム」にメリットがあるなら誰かがその魅力を本番のステージで再現できているはずです。
本番の緊張で再現が難しいのであれば、現代のフォームより「力みやすい」などの何かしらの欠陥があるのではないでしょうか。
この記事で書いた内容を理由に、私は「右手首がまっすぐ」のタッチを使う予定です。
今回の記事は以上となります。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。