買わずに後悔しているギターについて。

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私の人生の中で、買わずに後悔しているギターが2本だけあります。
親しい人には話してきましたが、公開しても問題ない内容と思いましたので記事にします。

私は古い楽器が好みでして、この点に関する精神年齢は「年金の受給開始年齢」をとっくに超えています。
近年のパフォーマンスの高い楽器が好みの方にはあまり参考にならない内容かもしれません。

この記事でわかること

カズオ・サトー氏のギター

「カズオ・サトー氏の古いモデルのギター」は、購入しなかったことを大変後悔しています。

私が惹かれたのは、1990年以降?のカズオ・サトー氏のモデルに良く見られるルビオ風のロゼッタを採用したものではなく、それより古いロゼッタが彫り込まれたものです。
(それ以外に見たことがないので、どの年代で変化したのかは把握していません)
2000年代前後の楽器も大変素晴らしいのですが、低音の鳴り方に特徴・癖を感じます。
(抜けというよりは音量が大きい)
この低音の鳴り方が好みではなかったため、それまではあまり興味がありませんでした。

忘れもしない、弦楽器フェアの開催期間中の出来事でした。
金曜日に弦楽器フェアを見終わりまして、その足で楽器店に行き、件のギターを試奏しました。
楽器店に1年近く並んでいたようで、私もその存在は知っていたため、それ程大きな期待を持っていませんでした。

これが大変素晴らしいものでした。
楽器店の説明文には「ドイツ系の楽器にルビオの成分を加えたような」という文言があり、当にその通りだと思いました。
ドイツ系の楽器の骨格に加えて、太く、それでいてルビオのような粘りを兼ね備えています。
音色や倍音に本家ルビオ程の濃厚さは無いのですが、ドイツ的な要素とのハイブリッドであることを考えると相当に魅力がありました。
(当方、ルビオユーザーなので良く分かりました)
厳しい目線でチェックしましたが、低音も6弦まで重厚で浮ついていません。
その他のドイツ系の楽器は音の芯をまとう肉が少ないため、楽器のごまかしが効きません。
この楽器は少しのふくよかさがあるため、ドイツ系の楽器として欠点を意識させない良さがありました。
お値段も大変お安くなっており、この楽器があれば「他のハウザー系・ドイツ系の高額な銘器は不要なのでは」と思わせる程の音質・性能でした。

買わなかった理由

買わなかったのは「ルビオを持っていたから」ではありません。
楽器への散財癖が一旦落ち着いていた時期でして、「物欲に対して冷静な自分でありたかった」ため購入せずに帰宅しました。
同行していた友人には「私もやっと衝動買いを我慢出来る人間になれた」と話したことを覚えています。
しかし、帰りの電車の中で、試奏したカズオ・サトーが如何に素晴らしいかを熱弁していました。
結局、楽器への熱意・衝動を全く押さえきれてはいません。

自宅に戻り、自分の所有するラインナップに対してのこのギターの必要性を冷静に検証しました。
「やはり買うべき」と思い、週明けの月曜日に楽器店に電話したところ、この楽器は売れていました。
(1年間売れていなかったのに)
弦楽器フェアの最中で、楽器店への客足が多かったのが大きな要因だと思います。
私が弾いたことで、最奥に陳列されていたものが最前面に置かれ、少し弾かれて鳴る状態だったのも理由としてありえそうです。

ネット上で調べると、この買えなかった楽器の写真が出てきます。
私が弾いた店とは違う店舗での掲載です。
飽きるような音色・個性の楽器ではない気がするので、乗り換え等のユーザー側の理由で複数回売りに出たのかもしれません。

その後、ヤフオクで近い年代のものが出品されたりもしていましたが、購入はしておりません。

(追記)2023年に再度同一の個体が売りに出ておりました。
表面板が割れており、楽器の本質に影響するものではないのですが、残念です。

理由は不明ですが、所有して手放す人の多い楽器のようです。
A→L(私が見た店舗)→S→A

故・水原洋氏の19世紀ギター

岩手の製作家「水原洋氏の19世紀ギター」は、買わなかったことを大変後悔しています。

私がギターを始めた頃、水原洋氏は既にご逝去なさった後でした。
初めての手工ギター(モダン)を選ぶ際、師事していた先生から「水原さんがいたら、水原さんの楽器で間違いなかった」という話を聞いておりました。
その頃は、水原氏のことも詳しく知らなかったため、それ程心に強く留まることもありませんでした。
「松井さんの楽器が好みだと思う」とも先生から言われており、最初に師事した先生の耳の良さと慧眼を思い知らされております。
(見抜かれていました)

お恥ずかしながら、私は結局水原洋氏のモダンギターは1度も試奏出来ておりません。

故・酒井晴彦氏とのやり取り

幸いにも、店頭で水原洋氏の19世紀ギターを試奏する機会がありました。

そのギターは、古楽器風、リュート的な音色を持っていながらも非常に機能的です。
5弦と6弦の差だけが少し気になるというか、6弦だけはややギター的な音色でした。
S.L.ヴァイスのパッサカリア(ニ長調)で試奏していましたが、これ以上ないマッチングだったと思います。
リュートとはまた似て非なる天上の音楽を奏でることが出来る感覚です。
私自身は最高峰の満足感を感じていました

酒井氏は、ほとんど何も言わずに私が弾くのを聴いていました。
そのとき私は、「酒井氏が何も言わないということは、何か理由があるのかもしれない。もっと良い個体があるのかも」と勘ぐってしまいました。
(これが大きな間違いでして)
そのため、購入は見送りました。
3日後に、酒井氏から「他のお客様から購入希望があったのですが、どうしますか?」といった旨の連絡を頂きました。
私はそれに対して「今回はやめておきます」と答えてしまいました。

酒井氏は、ある程度ギターの知識を持った奏者がどういった楽器を選ぶのかを興味深く見ていたのだと思います。
「既に楽器を知っている人には何も言う必要はないし、どんな判断をするのだろう?」という目線です。
営業のスタイルは「押し・引き」の2種類がありますが、この場合はそもそも営業を行っていないので、「引きの営業」ですらありません。

私が「買わない」と言った際も、内心はとても驚いていたのではないかと今になって思います。
水原氏の楽器に対する私のタッチや曲との相性に酒井氏も幾らか思うところがあり「本当に買わないのですね?」と電話をくれたのだと今になって思います。

同じようなものに出会えていない

その後、水原氏の19世紀ギターを3~4本弾く機会がありました。
しかし、酒井氏が見せてくれた水原氏の19世紀ギターと同じイメージのものは見ていません。

楽器として、「良い・悪い」ではなく、鳴り方の種類・個性が違っております。

酒井氏が後から電話をかけてくれた意味が、何年も経って身に沁みております。
(どうして買わなかったのか)

19世紀ギターらしさ?

私は現在、山下暁彦氏の19世紀ギターを所有しています。

この楽器は、「古楽器→19世紀ギター→モダンギター」というものさしの中で、かなり古楽器風の音を持っているため、19世紀ギターらしい音を持った楽器としては大変満足しています。
この楽器が無ければ、「19世紀ギターが欲しい」と今も大騒ぎしているでしょう。

水原氏の楽器はそれとはだいぶ異なる楽器です。
山下氏の楽器は木質的な豊かな倍音がありながらも古楽器としての躍動感があります。
水原氏の楽器は細く輝かしい音で、リュートのような音を超えて少しチェンバロを思わせる要素があったかもしれません。

山下氏の楽器は当時の楽器の完全なコピーとして作られており、フレットや糸巻きの機能では少し不満があります。
(フレットの都合、どうしても音程が合わない部分もあります)

既に19世紀ギターを1本持っている今でも、水原洋氏の19世紀ギターは音の個性と機能の面で欲しいと思っています。

買わずに後悔しているギターまとめ

私が買わずに後悔しているギターは今回記載した2本のみです。
それ以外は欲しいと思ったら購入しています。

書いていて気が付くことは、楽器に対する充分な知識・経験が身に付いた後で、冷静に判断して「良いと思ったものは良い」ということです。
知識のない、楽器を探し始めて初期の頃は、手放すことに繋がる要素のある楽器を購入しがちでした。

この2つの楽器を購入した方は、手放す際は是非私にご連絡下さい!
(割と最近の購入なので、このブログを見る可能性もあるかもしれないと思ってます)

最後までご覧頂き、誠に有難うございました。

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この記事でわかること