バジル・クリッツァー氏と為末大氏の対談をまとめる。

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Youtubeにホルン奏者であるバジル・クリッツァー氏と
元陸上選手の為末大氏の対談動画が上がっていました。
「緊張を分析し、パフォーマンスを発揮する方法を考える」というタイトルです。

既知の内容もあると思いますが、
この対談の中でバジル氏が語っているように、
問題への色々な対策を知っておくことで再発を防止出来ると思います。
どうぞお付き合い下さい。
(長いですよ)

この記事でわかること

アレクサンダーテクニークとは

どんなメソッドか

アレクサンダーテクニークの提唱者は
19世紀半ばの役者フレデリック・マサイアス・アレクサンダーである。
このメソッドは政治家、司祭等の声を使う職業の悩みを
解決するところから始まった。
そのため、音楽だけでなく演劇でも知られるメソッドである。

古いメソッドであり、その歴史を研究する人たちも多い。
そういった研究家が気がついたのは、
別のメソッドの盗作である可能性があるという点である。
納得できる話と「なんじゃそりゃ」と思う話がこのメソッドの中に混ざっている。
今で言うところのPDCAサイクルに近い方法である。
やりたいこと、何をやるか決め、
やったあとに、どうだったかを観察する。
観察した結果に基づき、何かパラメータを変えてみて、
変えたことによる結果を観察しフィードバックする。
それを繰り返して上達するという方法である。
19世紀の人物が芸事にPDCAサイクルを当てはめようとした
という意味では新しい考えではないか。
この方法の特徴的な点として「身体、心、環境」を全て情報源として観察する。
失敗したときに考えたことも対象となる。
心の中で「確実に弾こう」と思って失敗したら、それも情報であり、
「あえて失敗してみよう」と思って成功したとしたら、
それもひとつの方法と考える。

頭と脊椎の話

適当なセリフを言ってみる。
「今日は天気です」
頭を脊椎に押し込んで発声すると、
身体の機能が落ちて、くぐもった声になる。
押し込んだ状態をリリースする動き(頭を抜く?)を、
これでもかと重ねがけする。
すると、頭の脊椎の関係を有利な状態に持っていくことが出来、
声が響くようになる。
この「有利な方向へのリリースによるお得感」を凄く評価しているのが
アレクサンダーテクニークというメソッドである。

ネガティブな方向に変化する要因の動きを観察により特定する。
すると「マイナスの動きとは逆の方向に変化させると
良い結果が生まれるのでは」という仮説が立つ。
その仮説を試して、上手くいくなら採用する。
機能の制限(機能の低下)が発生する動作とその反対のリリースがあり、
リリースの方向を徹底して行う。
声を使うこと(響かせる)の改善を目的としたからこそ、
この方向に進化したのではないか。

吹奏楽・管楽器における姿勢

管楽器において呼吸は非常に重要であり、
胸郭の拡大・収縮をコントロールするために姿勢が存在する。
見た目の動きを良くしようとして背骨を伸ばし、動きを止めてしまうと
呼吸が止まってしまう。

筋肉の付き加減により、見た目の印象は異なるため、
姿勢の良し悪しは「機能が有効に働くかどうか」により判断する。
例えば、「胸を開く=胸の筋肉を使う」であって
背骨を反らせたり、肩甲骨を引く訳ではない。
それらで姿勢を作ると、機能を損なう結果となる。

為末大氏のコメント

長距離走の選手に短距離走の走り方をレクチャーしたら、
スピードは上がったが息が吸いにくくなったことがある。
(短距離では呼吸よりも速度を重要視)

緊張について

緊張向けの薬を使う

ベータブロッカーと呼ばれる緊張を抑える薬がある。
緊張でドキドキするのは当然の反応であるが、
人によって反応の度合いは異なる。
そのため、反応が過剰に出てしまう人は薬を使っても良いと考える。
過剰な反応を押さえ、高揚感だけを残せれば望ましい。
メンタルコントロールのトレーニングをしなくて済むかもしれない。

バジル氏が考える緊張がもたらす悪影響の要因

バジル氏が考える緊張がもたらす悪影響の要因は下記3つ。

  1. 緊張の反応が過剰に起きてしまう体質である。(薬やメンタルコントロールで対処)
  2. そもそも人前での振る舞い方を理解していない。
  3. 奏者が演奏行為とどういった関係を作っているか。

②奏者として人前での振る舞い方を理解していない

奏者は「人の反応を確認する」ことが重要である。
司会者として「聴衆の注意を繋ぎ止めて、おもてなしをする」のである。
つまり、演奏は奏者と聴衆の相互の作用により成り立つ行為である。
良く言われる「観客を芋と思う」や「聴衆との間に壁があると思う」という
緊張対策は理想的な演奏の行為から離れてしまい
望ましい演奏には到達できない。
(演奏の本来の目的を達成出来ない)

③演奏行為とどういった関係を作っているか

人前演奏への認識(思い込み)が間違っている場合は良い演奏が出来ない。
例えば、下記の思い込みである。
「観客はミスしない演奏を求めている」
「自分は凄い演奏が出来る演奏家である」

そういった思い込みに対して、
「事実を正しく認識すればするほど、演奏は楽になるのでは」
という仮説をバジル氏は立てている。
ミスを大々的に取り上げてやろうという人はそんなに多くない。
客にとって演奏者は大勢の一人でしかなく、そもそもミスを見てすらもいない。

演奏における緊張は今まさに研究が進んでいる最中であり、
これが確実な方法という断定は出来ないので、
存在する緊張対策を試してみて、
どれが各個人に当てはまるかやってみるしかない。
結局は実践しかない。

バジル氏のエピソード

緊張で悩んでいるバジル氏が留学中に
アレクサンダーテクニークの先生の門を叩いた。
様々な技術を教わり、どれも面白く、取り入れたが、
それでも緊張して良い結果が出なかった。
その際、習っていた先生は下記の内容を告げた。
「5~6回来ている人でアレクサンダーテクニークの方法で
成果がなかった人はいない。」
「あなた、ホルン奏者としてしか生きる道がないと思っているんじゃない?」
「ハイリスクな演奏家としての生き方を選ぶなら、他の道を用意するのが普通じゃない?」
「他に興味があることを見つけること」

バジル氏は「演奏家として音楽に全身全霊を捧げなくてはいけない」
「それにより親の死に目に会えなくともやむを得ない」と思い込んでいた
そのとき、
「音楽大学に行くきっかけはホルンの先生になりたかったから」
ということを思い出し、
「人として(先生として?)どうあるべきか」を意識したら
とても良い演奏が出来た。

「演奏する」とは

演奏者にとっての音は
ナレーターにとっての言葉と同じである。
クラシック系の楽器はすべからくそもそも音を出すのが難しい。
そうすると、技術的、物理的なことを考える時間が多いが、
それによりただの1音を出すのが怖くなる。
1音にも意味を込めねばならないので、
基礎練習の段階で意味を込める練習をしておかないと、
本番で意味のある音を出すのにも労力がいる。

仮に間違えたとしても、奏者の側に意図があれば、
演奏は通じるものである。
桃太郎の話をしていて、
登場した動物がライオンに変わっていても、
話し手が「桃太郎の話をしている」という意識があれば通じる。

演奏前に「私は何かを話す人」と思うようにすると
演奏が上手くいくケースがある。

技術はあくまで手段であり、
技術の訓練をしている間も本来の目的を忘れてはいけない。
サッカー等のスポーツでフォーメーション練習をしているときにも、
試合での目的を常に意識する。

サッカー選手はドリブルを練習するが、
競技を行う際はドリブルを忘れるレベルになっている必要がある。
ドリブルそのものに酔いしれては本末転倒である。

考え初めの谷

陸上競技で天才型の選手に考えることを要求したら、
パフォーマンスが落ちたことがある。
一度考え始めると、考えなかった頃には戻れない。
もし、考えない状態に戻れたとしても、
考えない方法を考えられるようになっただけである。
それは「解決策が見つかり、再現性が得られた」ということである。

「上手くなるということ」については、
「元の状態に戻って良くなった」か「変化したのか」は
気にしなくて良いと考える。

私の所感

アレクサンダーテクニーク

アレクサンダーテクニークに関して、
私も盲信して使うようなメソッドではないと考えたことがあったので、
その第一人者と呼べるようなバジル氏が
アレクサンダーテクニークの違和感を説明している部分が面白いと思いました。

しかし、有効なメソッドであることに間違いはありません。
普段、何も考えずに練習して成長しないことの方が圧倒的に多いからです。

「姿勢」について

姿勢は「機能」のために存在するという点が重要です。
ギターにおける機能は
「指先が滑らかに動くこと」
「身体からの力を弦に伝えること」
と思います。

本質を見失わないように姿勢を改善したいと思います。

「緊張」について

「演奏行為への思い込み」という点が非常に参考になりました。

私自身の話で、
「私はもっと良い演奏が出来るはず」という思い込みに関しては、
冷静に観察すると「練習と対して変わらない」という点に気が付き、
「こんなもんでしょ」と今は思えています。

私が未だに持っている思い込みは、下記の通りと思います。
「ギターの音はもっと良い音のはずだ」
「クラシックギターの良い音を聴衆に聴かせたい」
そう思ったところで、ギターはギター以上の音が出ません。
そういった意識により力み、過剰に音量を出してしまい、
音色の魅力を半減させます。

下記の記事に書いたとおり、冷静に音を聴いてコントロールすべきです。
「自分の音を聴くこと」を考える。(緊張対策)

「演奏」について

「ナレーターや司会者のように演奏をする」とは以前から思ってきましたが、
上記に書いた「ギターの良い音を求めすぎる」という点は
「大声で叫び続ける司会者」のようなもので
私の改善すべき点と思いました。
緊張している際はやはり「演奏との関係」が狂っているようです。

今回の記事は以上となります。

最後までご覧いただき、誠に有難うございました。

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