ギター演奏のCDの音質で感じたこと・改善提案をまとめる。

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生演奏で感動した印象ほど、CDで聴くギターの音質が良くないと感じる人は多いのではないでしょうか。

友人と会話する中で「レコードは録音された演奏に感動できるものが多かった」というコメントもありました。

今回は、私がクラシックギターのCDの音質に関して感じた印象をまとめます。
批判の割合が多い記事になっておりますので、苦手な方はご注意ください。

この記事でわかること

デイヴィッド・ラッセルの録音に対して

私はデイヴィッド・ラッセルの演奏が好きで、学生時代からCDを集めていました。
(私だけでなく、ほとんどのクラシックギター弾きがラッセルの演奏は好きだと思います)

発売されているCDはおおむね購入していたのですが、聴いていて「音質が悪い」と思うようになりました。
音は太いのですが、霞がかかったような聴こえ方です。
後のCDほどそういった印象が強かったです。(最近のものは分かりません)

当時、知識のなかった私は「ラッセルが楽器をギルバートからダマンに持ち替えたから?」と仮説を立てて、習っていたギタリストの先生になぜCDの音質が悪いのかを聴いてみました。
先生の回答は、「ギルバートでも、ダマンでもラッセルは美音なので、恐らくレーベルが変わったことが原因」とのことでした。

デイヴィッド・ラッセルほどの演奏家・芸術家であったとしても、CDをリリースする上でレコーディングのミキサー・エンジニアの影響によって出来・不出来が左右されるということです。

ナクソスのギター録音は無個性に聴こえる

重ねて批判になります。
ナクソスからリリースされているギターCDは演奏者の個性が薄れてしまっていると感じるものが多いです。
「レコーディングエンジニアが優れている」といった記事・コメントも見たことがありますが、いくらか耳の肥えた聴者であればナクソスのギターCDの音質を良いとは言わないでしょう。

ナクソスから多くの素晴らしいギタリストが録音をリリースしていますが、魅力が2〜3割減になっているのが非常に残念でなりません。

セゴビアやブリーム、イエペスやジョンが名ギタリストとされているのは、クオリティの高い録音が残っていることも理由の一旦を担っています。
ラッセルのあまり良くない録音を含めて、感動しない編集のされた録音は「芸術ではなく資料的な価値しか持っていない」と感じます。

演奏者が責任を持たなくてはいけない

演奏の魅力を落とすような編集・録音をしてしまうのは、ミキサー・レコーディングエンジニアが悪いです。
しかし、そこに対してリリースの許可や承認を与えてしまう演奏者の側にも責任があると私は思っています。

ギターでない歌手の話なのですが、レコーディングに関して納得できるまで議論をするというエピソードを見かけました。
歌手が「この判断が受け入れられないなら、CDは出しません」と言い、プロデューサーとどちらが折れるかの我慢比べの状況になったようです。
(喧嘩になるほど熱意と信頼関係のある仕事仲間がいる、というのは本当に羨ましいです)

あくまで仕事として録音するなら、「良い演奏を録ったからギタリストの役割は終わり」でかまわないと思います。
しかし、芸術家であればリリースされる録音に対して責任を持ってほしいです。

無編集が良いわけではない

不用意な録音の編集に対して批判を書きました。
そうすると、「録音したものを無編集でそのまま」が良いと思うかもしれませんが、これも間違っています。

人が聴いて「自然で美しい・無加工だ」と感じた録音は、ほとんどの場合は修正されています。
ナチュラルメイクのようなものです。

ギターに関して言えば、もっとも音が良くなる条件で録音した場合は確実に編集が必要になります。
逆に、「これ以上編集が必要ない」と感じる録音なのであれば、録音の条件がベストではないことが多いです。

録音や編集に関する知識がない人が「無編集が良い」と言うのは暴論です。

しかしながら、「無編集が良い」と感じるほどの悪い編集が多いのもまた事実と思います。
(過剰なノイズ除去など)
デイヴィッド・ラッセルの録音に関しても、CDよりもYouTubeの方が感動することが多く、「CDが余計な編集をしている」ことの表れではないかと勘ぐってしまいます。

レコーディングエンジニア・ミキサーは演奏者と同等以上に「聴く力」に優れている必要があります。

ラティス・ダブルトップの録音は悪い例が多い

私はラティス・ダブルトップ構造のギターに対して肯定派です。
しかし、生演奏は良いのですが、録音でラティス・ダブルトップのギターを聴くと魅力がない例が多いです。

杉のラティスを採用したギターの録音は特に酷いと感じます。
私の知人は「白痴」と言っていました。
別の知人は「GFAのコンクールで使われているギターの音は軒並み酷い」と言っていました。

広い会場やコンクールで音量のある楽器を使うのは良い結果を産んでいると思います。
録音に関しては「どうしてこの楽器で録音したのですか?」「この録音に対して公開の許可を出したのですか?」と問いたくなります。
楽器の音質が悪い場合は、「何度も演奏を聴きたい」とは思いません。

最前線で活躍するギタリストにとっては、一般には分からないコンディションの管理などの苦労があると思いますが、録音に関しては借りてでも音質の良い楽器を使ってほしいです。

ジュリアン・ブリームは、「演奏への熱意」「楽器選び」「録音の質」が揃っているギタリストだと改めて思います。

今回の記事は以上となります。

色々と批判が多くなりましたが、私自身が特に録音・編集の能力があるわけではないです。
録音・編集に関して今回の記事のような目線があるということが、何かの役に立つのでは、と思って書きました。

最後までご覧いただき、誠に有難うございました。

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この記事でわかること