(続き⑦)太い音を出す方法について。

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太い音を出す方法の記事はいつまで続くのでしょうか。
私自身も迷路に迷い込んだ感覚があります。

かなり長い期間悩んだつもりなのですが、感覚と能力に優れたプロの奏者であっても5年の期間をかけてタッチを磨いた例もあるそうです。
ごく僅かな小さな違いに耳を澄ませ、その再現性を高めていく作業が求められます。

昨日、タッチが良い友人よりお声掛けいただき、録音による音色の検証と私の右手のタッチを診てもらう機会を得ました。
この検証・確認により一連の「太い音」に関する結論が見えてきましたのでこの記事にまとめます。

この記事でわかること

「太い音」≠「楽器が豊かに鳴る状態」

私が求めていた「太い音」は、理想としてた「楽器が豊かに鳴る状態」とはイコールではありませんでした。
また、高音での「太い音」は、私は充分に試していた状態であったということが分かりました。

これまで「楽器が豊かに鳴る状態」を再現出来なかったのは以下の要素にあります。

  • 右手のタッチにおいて、常に「何かしよう」とし過ぎていた
    (こねくり回す)
  • タッチの基本が曖昧になっていた
  • 高音に対し、優しい音を求め過ぎていた
  • 低音に対し、弦を弾く手応えやタイトな音を求めていた

何も気にせずに自然なタッチが出来ている場合は、あまり気にする必要が無いかもしれません。

高音について

クラシックギターを弾き始めてから今まで「耳に刺さる高音」を嫌ってきました。
また、記事の冒頭に書いた通り「太い音こそが楽器を豊かに鳴らす」と思いこんでいました。
しかし、セゴビアの通常使用の高音は、むしろ芯のある細い音です。
私の場合は「柔らかく太い音」を出そうとし過ぎて、音の成分のうちの芯の音の方が弱くなっていました。

タッチが良い友人の音も倍音があるように聴こえ、それを真似しようとしていたところもあります。
「倍音」「芯のある硬い音」「太く柔らかい音」の概念が混ざってしまったことは、以下の理由があります。

  • 芯のある高音を出すと硬さが含まれるので、それが倍音のように聴こえてしまった
    (機械で測定する倍音と耳に感じる倍音は違う)
  • 倍音に聴こえるような成分をもたらすのは、むしろ低音の豊かさによる(かもしれない)

負のスパイラルにはまった

私の場合は太い音を出そうとして、弦に対して斜めに指を抜くタッチを標準にしていました。
このタッチは通常の動きに比べて少し労力が必要です。
常用するものではありませんでした。

響きが悪い会場で弾いた際は「音が客席に届いているかどうかの不安」があります。
その際は「音量をアップさせる(弦の振幅を確保する)」か「リリーススピードを上げて明瞭な音を出す」ことで対応します。

柔らかい音を出すために「弦に対して指を斜めに抜く」ことと「リリーススピードを上げる」ことは目的が矛盾するアクションです。
良い音を目指そうとしてやっていることが負のスパイラルを生み出していました。

明るい音のギターの存在

ラティスブレーシングのギター(まだ借り物)

2週間程前から、手元にはたまたま「スプルース・マダガスカルローズ」のラティスブレーシングの某ギターがあります。
このギターは高音を弾いた際に静電気のような響きが残ります。(特に1弦)

この楽器をタッチの良い友人に弾いてもらったところ、響きが濁りました。
私がこのギターを弾いても響きはそれほど濁りません。

私はこの違いを「倍音が豊富だから音が濁る」と解釈しました。
しかし、これは恐らく誤りです。
(波形分析すれば倍音は多いかもしれませんので、誤りではないかもしれませんが)

私は指を斜めにリリースして柔らかい音を出していたので音が濁らず、友人は芯を強調するタッチでしたので硬く高い音が出ることにより音が濁っていました。
柔らかい音を使わなければ、私が弾いてもこのラティスブレーシングのギターは音が濁りました。

私が昔、1本目のアントニオ・マリン(今持っている2本目ではなく)を手放してしまった理由もこの点にあると思いました。
高音の明るい成分の音を抑えようとすると、右手のタッチに毎回工夫が必要になってしまいます。

過去に「ギターの1弦の音がキンキンすること」について書いたことがあります。
私自身のタッチの検証を通じて到達した結論として、この「1弦キンキン問題」に関して言えることは「爪の形を完璧に整えて(磨いて)、指の動きも完璧であれば奏者のせいではない」ということです。
1弦の音が気になる「明るい音のギター」や「密度の低い杉のギター」から、落ち着いた音のギターに変更するべきと思います。
気を使いすぎて、プレーンなタッチが使えなくなるのは大きなハンデです。

重要なのは低音?

本音を言いますと、高音が「太い・細い」「倍音が多い・少ない」はそれほど私にとって重要ではありません。
「楽器が豊かに鳴る」状態であることを求めています。

高音の音色を変化させたことによって、極端に楽器が鳴らなくなってしまうことは無いのではと思いました。
演奏者の個性や楽曲の表情に応じて音色をコントロールして良いでしょう。
演奏者の音の好みもありますが、手の大きさや柔軟性、爪の形や質で音質が決まる部分も大きいです。

楽器の鳴りを大きく左右しているのは低音の鳴り方ではないかと考察します。

低音について

低音に関して、結論から伝えますと「歪みが無いこと」が非常に重要です。

私の場合ですと、つい最近まで「親指の先端の関節の曲げ」を多用していました。
この弾き方は、常用するには弦に対する抵抗が大きいです。
この弾き方の抵抗に慣れてしまっていたので、弾き方を直した後も無意識に指先の感覚に抵抗を求めていました。
親指で単音を弾いた際に、弦に爪を引っかけてしまっています。
(親指の単音は難しいです)

余計な抵抗や引っかかりが無い状態であれば、ギターの低音に歪みが生じず、小さい振幅でも豊かに鳴ります。
ギターを豊かに鳴らすには、親指で弦を弾く際に余計な抵抗が無いことが最重要です。

耳での判断が難しい

右手の入力に対して、「低音に歪みがあるかどうか」を聴き取るのはそれほど簡単ではないように思います。

歪みがあることで「音にエッジがある」ように聴こえるので、むしろ良い低音に感じてしまうかもしれません。

imaのどれかと親指pを同時に弾くと、親指の音質は悪くなりにくいです。
「高音と同時に弾いた親指の音質」を、単音を親指で弾く際も完全再現出来ることが重要です。

友人所有のギターでチェック

友人が所有している名器(300万円以上)は「歪みがある弾き方をすると途端に低音が鳴らなくなる」という特徴を持っています。
低音のタッチが下手な奏者に試奏してもらったところ、「この楽器は低音が鳴らないね」と言われたそうです。
ということは、その奏者はタッチは下手ですが、低音を聴き取る耳は持っていたのかもしれません。
所有している友人が弾くと、存在感のある明瞭な低音が鳴ります。

このギターを踏み絵として、私の低音弦の弾き方をチェックしました。
手元では僅かな音色の変化なのですが、離れて聴くと、私が弾き方を変えるたびに低音の音質が変わっていたそうです。
自身の未熟さを実感します。

技術について

音に関する考察は以上です。
以下、技術面でどうすべきか、明確なアクションプランを考えます。

シンプルに弾くことがベースとなる

音色のために指の動きを工夫することは、演奏に大きな負荷をかけます。
常用する音はシンプルな弾き方でなければなりません。

セゴビアが細い音を多用したように、普通の音は芯があれば太くなくて良いです。

余計なことをせず、シンプルな弾き方をしていれば、弦に対して余計な抵抗は生じません。
そうすると、低音の鳴り方を妨げる歪がないため、弱い力でも低音が良く鳴ります。

古い弾き方も音色のパレットとして保管

過去に使っていた「シンプルでないタッチ」は捨てるのではなく、音色のパレットのひとつとして保管します。

悪い癖かもしれませんが、今まで散々やってきた動きですので、とっさに繰り出すことも容易です。

リリース速度を感じつつ、指は振らない

「シンプルな弾き方が良い」とはいえ、この音のクオリティには当然こだわりたいです。

「動きを変える」とシンプルでは無くなるので、「リリース速度を遅くする」ことで音を太くします。
「遅さ」にこだわりすぎると弾きにくくなるため、毎回この速度を感じて弾くのが良いのかもしれません。
そうすると、指の振りは極端に小さくなります。
友人の手を見ていましたが、隣の弦に触れない位にフォロースルーが小さいです。
手のブレも減るため、演奏は容易になります。

低音のアポヤンドの功罪

低音をアポヤンドすると簡単に良い音が出せます。
手が小さい人にとっては6弦のアポヤンドは重要な技術です。
この技術を使っているプロは多いです。

単音での親指の弾き方を会得していない奏者にとってはデメリットがあるかもしれません。
友人も低音のアポヤンドを多用していたようなのですが、タッチを見直してからあまり使わなくなったとのことです。

低音のアポヤンド多用に関して、デメリットは以下の通りと考えています。

  • 単音を親指で弾く音質がおろそかになる
    (出来ていない人のみ)
  • アポヤンドで5弦が消えてしまう
  • アポヤンドする意識によりリリース速度が速くなる
  • 低音のアポヤンドとアルアイレの使い分けの意識が薄れる

「成長のためにあえて苦労する」パターンになりますが、演奏改善のために低音のアポヤンドを減らしてみようと思います。

低音と高音を弾く際は力が釣り合う

シンプルなタッチで和音を弾く場合、「高音を弾くimaの力」と「低音を弾くpの力」が釣り合うように思います。
余計な力が発生していないということです。

曲を弾く際、和音(低音と1つ以上の高音)の場面では、どちらかの力を打ち消そうとしていないか点検してみるのも良いでしょう。

セゴビアの音

アンドレアス・セゴビアの音が素晴らしいことは公然の事実と思います。
私がこの記事で触れている「ギターを豊かに鳴らす方法」を知り尽くした存在と言えます。

セゴビアの音をベンチマークとして工夫・努力した世代の奏者(海外を含む)に、異常に音の良いギタリストがいるというのは偶然ではないと思います。
「セゴビアを目指すこと」は必須ではないですが、「良い音を目指して工夫した」経験がない若い奏者に対して「音が軽い」という指摘をするのは間違っていないように思います。
(ただし、ナチュラルに良いタッチを身に付ける奏者もいます)

セゴビアの音色の存在(重要性)があまりに大きすぎたことによって、オカルトや不自然な指導が横行してしまった面もあります。
理屈を無視したスポ根・根性論が先行しすぎて、セゴビアの音を目指していても真理に辿り着けないケースもあるでしょう。
しかし、クラシックギターにとってセゴビアが重要な存在であることは間違いありません。

色々書いたが、難しい

この記事を書いてタッチについて理解したつもりでいるのですが、記事を書きながら練習しても中々納得出来る音になりません。
耳で正確に音を拾えていないことと、1日のうちに少しづつ弾き方が変わっていることが原因かもしれません。
シンプルに弾けばそれで良い音になるはずが、考えすぎている状態です。
動きに工夫は要らない筈ですので、爪が重要かもしれません。

追記:普段どおりの短い爪にしたところ、低音を割らない感覚が分かってきました。
私は爪が硬いので、爪による成分の減らすのが良いのかもしれません。
抵抗の無い形が重要なのは言わずもがなです

最後までご覧いただき、誠に有難うございました。

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