クラシックギターを弾く上で、「アポヤンドVSアルアイレ」の構図を見かけます。
私はその点に関して特に意見もなく、優劣も無いと考えております。
何故「アポヤンドVSアルアイレ」の議論があるのか、考察してみます。
アポヤンド神話
過去のクラシックギター界隈には、「アポヤンドで良い音を出すことこそ至上」という考え方がありました。
現在は昔ほどそういった話を聞くことは少なくなりましたが、私がギターを始めた頃にはまだ目・耳にすることがありました。
今でもそういった考えの方もいらっしゃると思います。
アポヤンドでしか出せない音があるのは事実です。
しかし、アポヤンド至上主義が台頭していたのは別の理由があると思っています。
アルアイレが出来ない人は多い
アポヤンドがやや過剰に持ち上げられてしまったのは「正しいアルアイレが出来ない」ために、アポヤンドせざるを得なかった人が一定数以上いたためと思っています。
昔は現代より情報が少なかったため、アルアイレが出来ない人も多かったでしょう。
もちろん、完璧なアルアイレが出来た上で、それ以上の音をアポヤンドに求めたギタリストも沢山います。
アポヤンドは誰でも良い音が出せる
某先生が頻繁に発言している通り、アポヤンドは誰でも良い音が出せます。
ギターを弾いたことがない3歳児でも可能です。
(もちろん、様々なニュアンスのアポヤンドがあり、深い世界です)
アポヤンドの簡単さを考えると、アルアイレを改善せずにアポヤンドに逃げてしまう気持ちもよく分かります。
どうせアポヤンドを使うなら、セゴビアのようにコントロールされたアポヤンドを使って欲しいと思います。
アルアイレでフォルテッシモが出せること
「NGなアルアイレ」は、弦を引っかき上げる弾き方のことです。
これをしていたら、フォルテ以上の音量は出ません。
ベースのスラップ奏法のように音がバチンと割れてしまいます。
「趣味なので自分が楽しめればそれで良い」とか、「歌の伴奏しかしません」という方なら弦を引っぱり上げる弾き方でメゾフォルテ以下で演奏するのも良いと思います。
本気でギター・音楽と向き合いたいなら、正しいタッチを身につけるのは必須です。
音が割れていたらアルアイレが出来ないことはすぐに分かります。
しかし、かなり上級の奏者であっても「音量をコントロール」したり「右手を逃したり」することで巧みにフォルテッシモ(音が割れる)を避けているケースもあります。
その場合は早期発見が困難になります。
(観察力に優れた先生であれば発見可能)
アルアイレの指導が出来ない先生はNG
アルアイレの正しい指導が出来ない先生には、右手の技術に関してレッスンを受ける意味は無いと思います。
トレモロ等の応用の技術を含めて、ほとんどの右手の弾き方はアルアイレがベースにあるからです。
幼児教育においては特に慎重な指導が求められると感じます。
中途半端なアルアイレをしてしまう位なら、一旦はアポヤンドに徹して、子供が指導を理解出来る段階に移行したらアルアイレをさせた方が良いかもしれません。
また、アルアイレに限らず、私は「弟子のあからさまな欠点を放置」する先生には習わないように気を付けています。
(どうしても直らない人もいますので、一概に指導が悪いとは言えません)
生徒の演奏を聴いて「このレベルの能力・練習量の奏者なら、指導を受けていたら既に直しているだろう」という欠点を見つけたら、先生の指導内容がイマイチな可能性が高いです。
アルアイレとアポヤンド、まとめ
大分話が逸れました。
アルアイレが正しく伝わっていなければ、アポヤンドが必要以上に持ち上げられるのは仕方ないというのが私の結論です。
右手のタッチは非常に深いですし、そこから情報が沢山得られます。
最後までご覧頂き、誠に有難うございました。