映画「蜜蜂と遠雷」を観ました。
原作は恩田陸さんによる小説です。
私は原作を既に読んでおりまして、映画として映像と音を伴ってこの作品を再び体験出来るのがとても楽しみでした。
小説を読んだのは大分前でしたので、細かい内容は忘れてしまっていましたが、それによって余計な先入観なしで物語に浸ることが出来ました。
本記事でざっくりと感想を書きます。
ネタバレもありますので、未視聴or未読の方はお気をつけください。
総評
小さな感動に溢れている
強烈に感動する作品ではないと思うのですが、音楽に携わっているからすると思わず共感してしまうようなリアリティのある小さな喜びに溢れている作品でした。
原作もキャッチーな描写やエピソードが沢山盛り込まれていて、物語の出来事を非常に身近に感じることが出来ました。
小説内に出てくる言葉「ピアニスト(この場合は原作者)の自意識ダダ漏れ」にならないような表現における配慮があるように思います。
安易なドラマや原作者の思いに傾倒しすぎていないということです。
映画ならではのちょっと過剰にした描写もあったと思いますが、実際のコンクールを観ているような気持ちで観ることが出来ました。
(実際のコンクールには風間塵のような不思議な人はいないのですが)
群像劇を全て表現するには映画の尺が足りない
小説は4人の全ての主人公に深くクローズアップしていましたが、映画はどちらかと言えば松岡茉優さん演じる栄伝亜夜に最もスポットライトが当てられていました。
原作の小説が群像劇としての4人分のエネルギーがあったとすれば、映画は2.5人分位に感じてしまいます。
上で書いた「小さな感動」も、小説は宝石箱のようにエピソードが散りばめられていたように思うので、時間の都合による物足りなさは否めません。
以後、各主人公に分けて感想を書いていきます。
主人公4人について
風間塵(鈴鹿央士)
養蜂家を父に持つ、繊細さと力強さを持った不思議なキャラクターです。
俳優の方がとてもハマっていたように思います。
本当はもっと野性味があるキャラクターだと思うのですが、映画にそんな人を連れてくるのは難しいでしょう。
メンズノンノ出身のモデルだけあって、どことなくスタイリッシュでした。
原作では、もっと独特で繊細かつ強靭な演奏の印象がありましたが、映画ではともすれば「不思議ちゃん」のイメージの比率が大きかったです。
ピアノ独奏が課題曲「春と修羅」の1曲だけだったのも、強靭かつ繊細な演奏を印象付けるのに惜しい部分だと思います。
風間塵の独特な演奏も、文章にすると「端正な演奏」と対極な言葉を使用できますが、映像化してしまうとそれなりに現実に馴染んでしまいます。
分かりやすく言うと、音楽をあまり聴かない人がグレン・グールドを聴いて「綺麗ですね」というようなものです。
実際に音にして、このキャラクターの個性ある演奏を誰にでも分かるように表現するのはかなり難しそうです。
(マサルも栄伝亜夜も充分個性的です)
一緒に映画を観た方が、「ホフマンって誰やねん」と言っていたので、風間塵のバックボーンを鮮明にするためにもっと沢山描写があっても良かったかもしれません。
(原作を読んでいた私は気にしていませんでした)
映画は、風間塵が他のキャラクターに「音楽のギフト」を与えた存在として終わっていますが、
小説では彼自身の成長(音楽面や仲間を見つけたこと)にもきちんとクローズアップしていたと思うので、映画の尺の足りなさは悔やまれるところです。
風間塵にどんな成長があったのかは、私ももう一度小説を見直してみようと思います。
高島明石(松坂桃李)
登場人物の中では、一番自分の立ち位置に近いキャラクターでした。
コンクール出場の年齢制限ぎりぎり、楽器店勤めのサラリーマンで家族持ちという設定です。
しかし、一緒に観ていた方が「音大所属でもないのに、最終予選に残るって凄くない?」と言っていたので、そういった面は実力のない私と全然違います(笑)
彼の演奏が風間塵や栄伝亜夜に火を付けたわけですが、主人公4人が一緒に砂浜を歩き足跡を使って「曲当てクイズ」をしているシーンでは彼らの感覚を高島明石は理解出来ませんでした。
私は観ていて「あれだけ努力をしていて同じ感覚を理解出来る域にいないのか」と思いましたが、それがとても現実的で共感出来ました。
高島明石のような立場のプレイヤーがいくら努力を積み重ねても、天才達と同じ感覚の世界に行ける人はほとんどいないと思います。
この部分は、安易な表現をしなかったところが個人的には好きです。
(これも、原作にあったかどうか確認してみます)
菱沼賞(日本人作家演奏賞)という課題曲を最も素晴らしく演奏した奏者に与えられる賞を獲得していますので、コンクール向けの派手さは無くとも彼の演奏は最後には認められました。
表現の奥深さでは他の3人の主人公に勝っていたのかもしれません。
ただ、小説にそんな描写は無いとはいえ、コンクールの審査結果をスクリーンに写して終わりでは高島明石というキャラクターが報われないのではと思います。
上位3位までは気にすると思いますが、スクリーン上で菱沼賞が誰かまで初見の人が読むのか、ということです。
(そもそも、映画で細かい文字を読むのかということ)
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)
英語風の発音が交じる日本語が特徴で、ちょっとうっとおしいところが素敵なキャラクターでした。
原作でも映画でも二枚目なのですが、演技によって親しみやすさがあったと思います。
映画ならではの描写として、本選の協奏曲の指揮者が中堅指揮者でなく、いわゆる「マエストロ」に変更されていました。
本選前のオーケストラとの合わせ練習で、マサルはフルート奏者に自分のピアノに合わせるよう支持するのですが、どうしてもピアノとフルートの音が合いません。
指揮者のマエストロが「オーケストラは何もずれてはいないよ」とマサルに伝え、ズレが残ったまま練習は終わってしまいます。
幼馴染の栄伝亜夜が本番前に協奏曲のピアノ伴奏版の第2パートを弾いてくれ、マサルは正しい感覚を会得します。
本番のオーケストラではピアノとフルートの音が完璧に合い、フルート奏者もマサルに笑顔を向けてくれました。
凄くシンプルでありふれたストーリーなのですが「音楽の努力と喜びとはこういうこと!」と思って私は凄く感動しました。
原作でも、栄伝亜夜や風間塵でなくマサルが1位なのは良く分からなかったのですが、映画を観てオーケストラとピアノが完璧にハマっているのはマサルの演奏だと思いました。
他の主人公と違って大げさなドラマはありませんが、ちゃんと音楽で順位が決まっているというある意味でのドライさもこの作品の良さと思います。
栄伝亜夜(松岡茉優)
母親の死の後に協奏曲を演奏する機会があり、そのステージから演奏をせずに逃げ出して以後は表舞台に立っていないという過去を持つキャラクターです。
映画を作る上で軸が欲しかったのだと思いますが「栄伝亜夜のトラウマの克服」というエピソードに多くを背負わせすぎたのではと思います。
原作の栄伝亜夜はもう少し子供っぽくて明るい印象でした。
松岡茉優さんの演技の問題ではなくて、映画としての味付けの問題です。
他のキャラクターの色々なエピソードが有れば有るほど、それは色々なカラーを持っていて、栄伝亜夜のシリアスなエピソードが滲んでしまう問題がある気がします。
(難しいところです)
と言いつつも、この映画は私にとって凄く楽しくて、その理由は栄伝亜夜のストーリーがしっかりと描かれていたからだと思います。
映画で栄伝亜夜が最後の本選のステージに戻ってくるシーンでは、風間塵の演奏と母親の思い出の描写がありました。
彼女に直接大げさな出来事があったようには表現されていないのですが、それがかえって「栄伝亜夜が自分の意志によって音楽の世界に戻ることを決めた」ことのように私は思いました。
本選という音楽の世界に帰ってきた栄伝亜夜は、オーケストラを引っ張っていくような推進力のある演奏を魅せ、彼女の本来の演奏を取り戻しました。
最近、私も緊張やストレスを勉強していまして「本人の決断」が演奏を結果付けたことにとても勇気を貰いました。
今回の記事は以上となります。
映画や原作の広告で「私はまだ、音楽の神様に愛されているだろうか?」という文が使われておりました。
この作品の中では、4人の主人公たちが様々な形で音楽の神様の愛を手にしたわけです。
私も何とか音楽の神様に拾っていただけるよう、精進を続けたいと思います。
最後までご覧頂き、誠に有難うございました。