プロの演奏家が演奏という行為に対して「音楽を演じる」や「音楽の内容を伝える」という表現をしているのをよく耳にします。
「演じるように演奏する」ことについて、掘り下げてみます。
役者が感動して泣いていたら
映画や舞台に出演している役者が、劇中の場面に感動していたとします。
自分のセリフがまともに言えない位に感動して泣いていたら、お客さんは冷めます。
「セリフがまともに言えない位の感動の涙」が演技を要求されれるような場面であればそれは適切な表現ですが、ごく一部でしょう。
このように演技に例えると、「演者が感動してパフォーマンスを低下させること」はNGです。
しかし、音楽の世界では頭を振ったり身体を揺らしたりしている演奏の方が陶酔していて音楽的に豊かだと思われている節があります。
(クラシック音楽はそうではないですが)
演奏者が感動しない方が良い?
演奏に影響が出ない自己陶酔は勿論OKです。
しかし、アマチュアの演奏家にそれは難しいのではないでしょうか。
バンドは役割が分担され、身体の動きを出せる位に各パートの難易度が押さえられています。
ギターソロの場面になると急に動きが小さくなります。
(怒られますね)
歌手も、音楽に感動しつつも声のコントロールに集中している印象です。
演奏するのが「自分のため」なのか、「聴き手のため」なのかは理解した方が良いと思います。
(音楽そのものでなく、演奏者が楽しんでいるのを見るのが好きというリスナーもいます)
音楽の内容を測るものさし
演奏家に感受性(音楽に感動する心)は絶対に必要です。
演奏者自身が音楽の魅力を感じ取れなければ、豊かな音楽を再現することは出来ません。
そもそも全く感動していない人の演奏は、ミスが少なくてもわざわざ時間を費やして聴こうとは思いません。
陶酔の悪影響
演奏して音を出すという行為は、ドライに表現すると単なる「指先と弦」の運動の結果です。
(身体や呼吸ももちろん関与しますが)
陶酔しすぎると、「上手くいった理由」や「失敗の原因」が分かりにくくなります。
結果として演奏が改善しにくいです。
下記のように、私も沢山失敗してきました。
- 曲の最後の音を感情的に弾こうとして、失敗する
(具体的に指をどう動かすかに落とし込めていない) - ミスで身体をこわばらせる
- 失敗を「自分の弱さ」のせいにする
(本当は単なる指のミス)
失敗して朧げに「自分が悪い」と思うのではなく、成功・失敗の要因を明確に洗い出すようにしましょう。
認知とメタ認知を極める
演奏をより高い次元に引き上げるには認知とメタ認知が重要です。
メタ認知とは、「自分が認知していることを客観的に把握し制御すること」です。
(理解への理解)
指先や身体の感覚、呼吸等への認知と、演奏中の感情やミスへの反応に対するメタ認知を極めることで演奏を向上させることが出来ます。
陶酔して感覚をシャットアウトするのではなく、情報をかき集めてコントロールするようにしましょう。
プロの演奏家は?
個人的な印象ですが、プロの演奏家の場合、音楽は情熱的だったとしてもクールに演奏する人が多いです。
感情がドバドバに溢れている人はそんなに見かけません。
感情のままに弾くことが出来る一部の天才を除き、陶酔しすぎる演奏家は淘汰されているのかもしれません。
最後までご覧頂き、誠に有難うございました。