演奏技術

演奏者のストレスとの向き合い方を考える。

ケリー・マクゴニガル氏の著書「スタンフォードのストレスを力に変える教科書」を読みました。

この「スタンフォードのストレスを力に変える教科書」は、買ってからしばらく読んでおらず、いわゆる積み本状態でした。
「普段、そんなに致命的なストレスは感じていませんし、私に合う本ではないだろう」と思ったからです。
いざ読んでみると、演奏者に役立ちそうな話が沢山載っていました。

本の冒頭のエピソード『ストレスにより死亡リスクが高まるのは「ストレスが健康に悪い」と思い込んでいる人だけ』は衝撃的でした。
一般的には「ストレスは良くないもの」という認識ですが、個人の考え方や反応によってはストレスはむしろプラスの効果が表れます。

ホテルの客室係が自分の仕事を「運動している」と捉えた結果、体重や体脂肪率に
改善があったというデータがあります。

楽器の演奏に応用出来るテーマと思いますので、演奏者目線でのストレスとの付き合い方に応用して考えてみます。

ストレスとは

ストレスは「外から受けるもの」と「心身の状態」を指しています。

「外から受けるもの」は人間関係や金銭、情報、行動などを指しています。
仕事や家事がストレスだと良く言いますね。

「心身の状態」は感情や考え方、身体の反応を指しています。
うつ病や不安症、肩こりが後者に当たるでしょう。

ここでは「自分にとって大切なものが脅かされたときに生じるもの」をストレスとして定義します。

日常生活レベルでは極端なストレスは存在しない


実験用ラットに対する実験で、ストレスによって筋肉の機能低下、消化器潰瘍、免疫不全等が起きることが分かっています。
しかし、ラットに与えたストレスはあまりに極端なものでした。

  • 極度の暑さ、寒さ
  • 休みなしの運動
  • 狭い空間に長時間、一人で閉じ込められる
  • 溺れさせられる
  • 騒音
  • 毒性の薬品の投与
  • 脊髄の切断

この実験結果に基づき「人間のストレス」も健康を害するのではと提唱されました。
この考えは、訂正され「良いストレス」と「悪いストレス」があることが後に発表されています。
しかし、一度定着してしまったストレスのマイナスイメージは消えませんでした。

人が受けるストレスは実験用のラット程ではありません。
トラウマや虐待、家族の死などの辛い経験からも人は立ち直ることが出来ます。

ストレスホルモンの量が変わる?

ストレスの捉え方によって、分泌するホルモンの量が変化します。

ストレスを受けると、以下のストレスホルモンが生じます。

  1. コルチゾール
    糖と脂肪の代謝を助け、エネルギーを使いやすくする
  2. DHEA
    脳の成長を助け、免疫機能を高める

どちらが悪いということはないのですが、慢性的にコルチゾールの割合が高くなると免疫機能の低下、うつ病の症状が表れます。

DHEAの割合が高い場合は、ストレスに関する病気の割合が減り、集中力や問題解決能力、過酷な経験からの回復力に優れるという傾向があります。

緊急事態になった際にストレスを感じるのは、身体と脳が何とかしようとしている印と考えましょう。

「ストレスにはよい効果がある」と考えることで、ストレスを感じた際のDHEAの割合が増えることが実験により明らかになっています。

ストレス反応の種類

ストレス反応には以下の3種類があります。
一般には「闘争・逃走反応」が強調されてきました。
しかし、考え方次第で他のストレス反応に転換することが出来ます。

①闘争・逃走反応

身の危険にさらされたときに交感神経が活性化し、心拍数が増加、呼吸が速くなる、筋肉が緊張する。

現代社会では、問題が起きたときに戦ったり、逃げたりするのは得策ではありません。
「大昔の狩猟生活で根付いた本能により人は闘争・逃走反応をしてしまう」と考えられることから、ストレス反応は起こすべきではないと思われていました。
人は他者と助け合い、学ぶことが出来る生き物ですので、他のストレス反応を是非とも活用したいところです。

②チャレンジ反応

心拍数は上がり、アドレナリンが増え、筋肉や脳にエネルギーが送り込まれる。
集中力が高まり、恐怖は感じない点が闘争・逃走反応と異なる。
DHEAの割合も高くなることでストレスからの回復や学びに繋がる。

③思いやり・絆反応

ストレスを感じると、人との繋がりを求めるようになる。
他人の感情に気づき、理解する力が強まる。
相手への信頼や役に立ちたいという思いが生まれる。
これはオキシトシンの働きであり、行動する勇気ももたらしてくれる。

以上の3つがストレス反応です。
チャレンジ反応による「成長」や思いやり・絆反応による「人とのつながり」と「勇気」を呼び覚ますことが大事です。
ストレスを避けるのではなく、自分自身を積極的に変えていくエネルギーにしましょう。

ストレスは学びを助ける


ストレスを受けたら、最終的には人は回復します。
ストレスホルモンは学習と記憶を司る脳の領域を活性化し、心身の回復を助けてくれます。
ホルモンの量が多い人ほど回復が早く、疲労が長引きません。
ストレスを感じたときにその時の感情を何度も思い出してしまうことには、意味があったということです。
同じ失敗を避け、上手く対処出来るよう人は成長していきます。
これにより「ストレス免疫」が生まれ、ストレスに強くなっていきます。

演奏で失敗しても、強引に忘れようとするのではなく、悔しい気持ちやどんなミスをしたかをエネルギーにしたいと思います。

ストレスを避けるとどうなるか

ストレス指数が高い国ほど、寿命が長く、GDPも高く、幸福度、人生の満足度も高いというデータがあります。
逆にストレスを避けると以下のような結果が待っています。

  • イベントや役割を逃す。
  • 退屈でやりがいの無い人生になる。
  • 生産的でないこと、自己破壊的な行動に逃げる。(時間の浪費、非効率な行動)
  • 自分の将来に限界を設ける。

なぜこんなに辛いのだろう、と思ったときは、自分がしていることの意義や意志を見つめ直すようにします。

ストレスを力に変えるステップ

  1. 感じたストレスを受けとめ、認識する。
    身体に表れる反応にも注意を向ける。
    (指が震える、心拍数が上がる等)
  2. 初めに定義したように、ストレスは大切なものが脅かされたために生じている。
    積極的にやりたかったこと、脅かされたもの、自分にとって大切なものを認識する。
  3. 感じたストレスを無くそうとするのではなく利用する。
    目標や価値観に合うようにエネルギーを使うことを考える。

正直、この説明は分かりにくいと思うので、他のエピソードを通じて考えてみます。

医師の話

医師は深刻な病状や余命を患者に伝える職務を追っています。
そのため、感情をシャットダウンして患者の苦しみや痛み、死と接するようにしています。
これは精神衛生を保ったまま仕事はこなせるでしょうが、機械的になりがちで患者との接し方もドライになってしまうでしょう。
(例え話のようなもので、医師批判ではございません)
これに対し、以下の方法が行われました。

  • 辛いときでも苦しんでいる患者と向き合う
  • 悩みや辛さを避けるのではなく、そこに意味を見出す
  • 仲間の医師と仕事に意味を見出す考え方を共有する

その結果、患者に寄り添うという仕事の意義を見直すことが出来、孤独感や燃え尽き症候群が大きく緩和されました。
「単純に仕事をこなしているだけ」という感覚も減り、患者へより親密に接することが出来るようになりました。

これはストレスを減らす一般的なストレスマネジメントの方法とは違います。
ストレスを放置すると、それは残り続けて自分自身を苦しめます。
苦しみの中に意味を見出して、感じたストレスを力に変えて前に進みたいところです。

このエピソードは介護や教育に携わる方にも当てはまるでしょう。

私の失敗談

友人の結婚式でギターを演奏する機会を頂きました。
平日は仕事が忙しく、休日も予定が入ったりと練習時間が取れなかったため、この準備をすることが私にとっては中々のストレスでした。
(友人へ、すまん)

結果として、それなりの演奏は出来ました。
しかし、当初目標としていた暗譜は諦めて譜面を見て演奏しており、動画で見直すとどこか物足りなさがありました。
「もう少しやれたのでは」という思いがあります。

今思えば、準備期間に感じていたストレスともっと向き合うべきだったと後悔しています。
ストレスの定義を「自分にとって大切なものが脅かされたときに生じるもの」としていましたが、
このケースでは「大切な友人のために少しでも良い演奏がしたい」という気持ちをもっと大切にすべきでした。

時間が無く、焦りを感じる中で「がむしゃらに練習すること」は最適解ではないでしょう。
練習しなかった訳ではないですが、一種の回避行動に近いです。
「演奏を録画してみること」や「メトロノームに合わせること」等、少しでも良い演奏に繋がる方法はもっと沢山あったと思います。
頭を使って工夫する練習をしていれば、きっと暗譜も出来たはずでした。

振り返ってみると、医師の話と同じく「本当に向き合うべきこと」に蓋をしていました。

プレッシャーを感じたときは


自分は落ち着いていると言い聞かせたり、無理にリラックスしようとするのではなく、感じている不安を受け入れます。
その上で、「緊張している」ではなく、「ワクワクしている」「気合が入っている」という捉え方をします。

プレッシャー下での闘争・逃走反応を脅威反応と呼びます。
本来、実力を発揮し成功したい場合はチャレンジ反応を起こす必要があります。

脅威反応で生じること

脅威反応の際は、身体は激しい戦いに備えています。
身体には、以下のことが起きます。

  • 血管の収縮
  • 炎症の発生
  • 免疫細胞の活性化

精神的には、以下の状態になります。

  • 恐怖
  • 怒り
  • 自信のなさ
  • 屈辱感
  • 危険に対する警戒心による上記の感情のループ

チャレンジ反応で生じること

チャレンジ反応の際は、身体に以下のことが起きます。
運動をしているときのような状態です。

  • 身体がリラックスする(そもそも危害はない)
  • 血流量が増える
  • 心臓の鼓動が増え、強さも増す

精神的には以下の状態になります。

  • 興奮
  • 力が湧く
  • やる気や自信
  • 目標の追求
  • 置かれた状況と向き合い、持てる力を活かす

この反応の違いは、私も心当たりがあるのですが、緊張で手が冷たくなるのは恐らく脅威反応なのではないでしょうか。
長年の謎が溶けました。
対策として買っていたカイロは使わずに捨てることになりそうです。
(最近ずっと使っていませんでした)

チャレンジ反応を起こすべき

チャレンジ反応が効果的に働くのは、プレッシャー下で実力を発揮する必要がある全ての人たちです。
アスリートやビジネスマン、外科医等も当てはまりますし、勿論演奏家もそうでしょう。
ストレスによってドキドキするのは、状況に対処するよう脳と全身に血液を送るように身体が助けてくれる印です。
(これが本当に大事な考え方です)
緊張するのは、自分にとって向き合っていることが重要なことだからです。
その目標に対して自分が出来る「ふさわしい行動」を考え、行動を選択するようにしましょう。
ストレス反応が起こらなかった場合よりも、ストレス下でチャレンジ反応が起きたときの方が実力が発揮出来ることが分かっています。

どうすればチャレンジ反応が起きるのか

プレッシャーに対処できる自信を持てるかどうか」が重要です。
問題の難易度に対して、自分の力量(技術、能力、強さ、勇気)を天秤にかけ、
対処出来ると思えば「チャレンジ反応」、手に負えなければ「脅威反応」が起きます。

以下の自分の強みを認識しておくことが重要です。

  • 練習してきたこと、積み上げたものを考える
  • 過去の成功の体験を思い出す
  • 自分を応援してくれる人のことを思う

結局ここでも「自分が練習してきたこと」が登場します。
闇雲でなく、効率の良い練習を重ねることで、よりチャレンジ反応が起きやすくなるでしょう。
マイナスの状況(苦難や挫折)でも自分を信じられるよう精進したいところです。

思いやり・絆反応も有効


演奏家はチャレンジ反応さえ起きてくれれば良いのではと思うかもしれませんが、そうではないようです。

思いやり・絆反応はプレッシャーの中で他者と助け合うための「希望」や「勇気」を与えてくれ、頭の回転が速くなります。
以下の反応が見られます。

  • 思いやりが強まる
  • 人との繋がりを求め、相手を信頼する
  • 恐怖を抑え、勇気を強める
  • ドーパミンが分泌される(やる気UP、自信が持てる、緊張で硬直しにくくなる)
  • 知覚、直感、自制心の向上

身近な人が苦しんでいるときは、自分の何も出来ないもどかしさを無駄に解消しようとするのではなく、手を差し伸べ、労りましょう。

時間が無いという感覚のときは人助けをすべき

人のために時間を使うと、「時間がない」という行き詰まった感覚が和らぎ、自信を取り戻せます。
和らいだからどうなのだ、と思うかもしれませんが学習の敵である「焦り」が無くなることが重要です。

自分より大きな目標のために貢献する

自分の価値や能力を証明しよう、他人と競争して優秀さを知らしめよう」というスタンスでは、対立や争いが生まれ、努力に喜びも感じにくいです。

組織や大きな目的のために自分は存在する」と考えることで動機が大きく変わります。
例えば「この楽器の良さを伝えよう」「作曲家の意図を最大限に伝えるために私はいるのだ」「応援してくれる先生や家族のために演奏する」と考えます。
(ラッパーがやたら地元代表アピールをするのも、無意識にプラスのストレス反応に貢献しているでしょう)
これにより以下の効果が得られます。

  • 自分のための目標であるときに比べ、達成率が上がる
  • 努力に喜びを感じられるようになる
  • 好奇心やいたわり、感謝の気持ちが湧く
  • 不安や孤独感、ねたみが減る

災害やテロにあった方々の中で、他人を助けようと行動した場合にうつやPTSD、生き残った罪悪感が和らいだことが分かっています。
そういった苦しい状況に比べたら、演奏家が直面するシチュエーションは大したことはないと思えますので、「誰しもが苦しんでいる」と考え、思いやれるようにしたいところです。

 

今回の記事は以上となります。

人間が持つ様々な反応の良い面を説明しましたが、これらは当然ながらストレスに対する反応です。
ストレスがかかる状況に身を置かねば、大きな成長はありません。
自ら苦難を選ぶわけで、穏やかな気持ちのまま達成できることではないです。
それでも、ストレスの捉え方が変わることにより「ストレスがあることへのストレス」が無くなることで生きやすくなると私は思いました。

最後までご覧頂き、誠に有難うございました。